【実体験】自己愛ができるまでの過程|無償の愛とは?

メンタル編

私は長い間、なぜかずっと満たされない感覚がありました。

大人になり、試行錯誤を重ねる中で
特に意識せずとも
「満たされている」と感じる状態にやっと入ってきました。

常に人との壁を作り警戒して、自己否定が強く、自己愛なしの状態から自己愛ができるまでの私自身の経験に基づき記事にしています。

なぜ自己愛がなかったのか

子どもの頃、私にとって親は「絶対的に正しい存在」でした。
困ったら頼る存在であり、
世界の基準そのものでもありました。

ただ、親と関わる中で
親自身ができてないのに親の理想像を押し付けられている感覚や
話を流されたり軽く扱われる感じ、
何気なくつかれた嘘の数々と目の前に起きていることのギャップ。
それらが少しずつ不信感となり積み重なっていました。

子どもだった私は、
「親が間違っている」という発想を持てません。
だから自然と、
”間違っているのは自分なんだ”と思うようになっていきました。
でも、親の言うことと現実で起きていることの差はかなり違和感に思っていました。

「本当に助けてほしい時に、信用できる人はいない」
「弱みにつけこまれ、コントロールされている操り人形のようになってしまう」

その感覚が、愛される感覚を知らず、自己否定と周囲への不信感を作っていました。

小学校2年生の頃、
「早く一人で生きたい」と本気で思った情景が今でも鮮明に覚えています。

自己愛ができるまでの過程

そのままの自分しかなかった頃

生まれた時、
人は「そのままの自分」でしか存在できません。
良いも悪いもなく、ただ在るだけの状態だったと思います。

自己否定の始まり

親や周囲との関わりの中で、
少しずつ「そのままではダメなんだ」と学びました。

無意識のうちに、偽りの自分を作り、
操り人形にされないように弱みを隠し、本当の自分を隠すようになり、
強く見せ、周囲に合わせることで生きようとしていました。

学生の頃は部活動などで人との関わりが増えましたが、
自分を隠し続けながらも、たまに本当の自分を出してみたりしますが
人間関係もうまくいかず。
周囲へ適応しようとして頑張っても空回りし続け、怒られ続け、
「本当の自分も、偽りの自分ですらもダメな存在だ」と強い自己否定が起きていました。

この頃は自己否定をしていることに気づいておらず、
辛い時は意識をボーとさせて”心ここにあらず”のような状態をつくっていました。
感情を表に出しても受けとめてくれる環境ではないと思っており、怖いので、
”感情あらず・とにかく最低限のことはやる”ロボット状態で自分を守っていました。

社会に出て、偽りの自分で固めた時期

社会人になると、
より一層「適応すること」が求められます。

私はさらに本音を隠し、
周囲に合わせようとしましたが
全く馴染めず、社会人になっても怒られ続けてました。

会社員として働いて4か月あたりで、辞めたいなと思うようになりました。
そこで副業をやり始めます。

会社員2年目の時、副業の収益が良く、運よく起業できました。

お金も困っていない。
人に気を遣わずに済み、自由に動けるようになったはずなのに
心はなぜか満たされない。

「誰にも迷惑をかけたくない」
「一人でいたい」

そんな思いが叶ったはずなのに、人と関わらなくて済む環境に身を置いた時、
強い孤独感や寂しさを感じていました。

今思えばこの頃の私は、
足りない愛を人から分けてもらうことで
満たそうとしていた時期だったのだと思います。

自己否定に気づいた時期

やがてお金を手に入れても自由を手に入れても”満たされない”感覚に失望し、
行動意欲が完全になくなりました。
お金も減り続け、ゼロに近い状態になりました。

その頃、ノートに日記のようなものを書き、
気持ちを整理していました。

そこで初めて、
今までずっと自己否定していたのだと気づいた瞬間でした。

固定概念と孤独

気持ちを整理していく中で、
抑え込まれていた人への憎しみや怒り、恨みも正直かなりありました。

今までは「人のことは好きでなければいけない」「人に憎しみを抱いてはいけない」「人を大切に思わなければいけない」「人のために何かをしなければいかない」という固定概念がありました。

どんなに怒られても、理不尽な事を突き付けられてもこのような固定概念から本当の自分の本音が見えないくらい蓋をしていました。

人に対して優しくするべきと思っており、
どんなに怒られても、理不尽な事を突き付けられても本当の自分の本音が見えないくらい蓋をしていました。

そんな固定概念に気づき、そんな自分を認めた時、
自己否定が弱まり、少しですが本当の自分に向き合えました。

この頃もまだ孤独感を感じていました。
一人でいるから寂しいのだと思っていました。

SNSや文献で調べては、孤独のデメリットに関して強く書かれており
また自己否定をしていました。

後になって分かったのは、
寂しかった原因は「一人」だったからではなく、
自己愛がなかったからだということです。

自己表現と直感

時には自己否定、時には満たされるを繰り返していました。

私は感受性が高く、周囲に影響されやすいので、常に人を警戒して過ごしていました。

そんな中でしたが、”好きなこと”が分かった時期でもあります。
今までは、「自分は何が好きか」「自分は何を思っているのか」「どう感じているのか」がよくわかっていませんでした。

中学生の時から大人になっても一人でカラオケによく行っていたのですが、
歌うことが好きだと15年ほどの月日がかかってやっと好きだと認識できました。

それくらい自分のことは置き去りにして周囲を警戒し続けて
本当の自分を無視していました。

歌うことは自己表現にもなり、本当の自分に向き合うきっかけにもなっています。

 

人間関係に関しては、自分と他人を分けて考えるようにもなりました。

”とにかく周囲に合わせて生きること”から
”本当の自分を知って、最優先に自分を大切にする”
ことを意識し始めました。

疲れている時や気が乗らない時は食事や睡眠をしっかりとらないと
自分の軸から外れた行動をしてしまうことを知ったタイミングでした。

お金など、生きるために必要なことを
ちゃんと大切にするようになりました。

 

この時、よく大事にしていたのは”直感”です。

本音(直感)と行動が一致していくにつれ、
満たされている状態が
特別なものではなく、デフォルトになっていきました。

いくら直感がはたらいても、「いや、それはお金がかかるからダメ」「今は仕事はしなきゃダメでしょ」と頭の中で思考がはたらき、”確かにな”と思う理屈が次々と出てきていました。

しかし、結局直感に素直に従った方が一時的にはお金がかかっても長い目で見たら安く済んだり、一時的には仕事をしなくても長い目で見たら今は休んで元気になったときに仕事をすることでパフォーマンスが上がっていました。
直感は長い目をみて、良い方向に働くことを知り、最初は意識的に直感に素直に行動する練習をしていました。

そんなことを続けていると、自然と素直に行動できるようになり、
勝手に自己否定がなくなっており、自己愛で満たされる状態になりました。

おわりに

全てが順調にいって、自己愛を取り戻したというよりも、
ある時は自己否定し、ある時は満たされ、でもまた自己否定して。。
というようにひたすら交互に経験しました。

その中で、満たされていない時の原因が分かるようになり、対応できるようになりました。次第に、いちいち頭で考えなくても本当の自分を出せるようになりました。

もちろん本当の自分を出せない環境もあります。
そういう時は、本当の自分を保ちながらも、社会に適応するためのほんの少しの適応を加えている状態にしています。

イメージとして、心のコップというものを書いてみました。(画像参照)

水は、名誉・評価・ギャンブルなどの欲望や食事睡眠などの欲求です。
最初は、欲望にとらわれ、欲望をひたすら満たして、もがいているうちに、
本当に必要なものは生きていくために必要なお金や食事、睡眠などの生命を維持するための欲求に徐々に変わっていきました。水の質が(欲望から欲求へ)変わりました。

コップの満たし方がうまくなると、溢れかえる水は、あってもなくてもどうせ溜まりません。その溢れている分が、見返りを求めない無償の行動となりました。

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