「変わらなければいけない」という空気に身をずっと置きながら生活してました。
成長しているか、前に進んでいるか、何かを積み上げているか。
そういったものが、暗黙の基準として置かれているように感じる。
その空気の中では、「今のまま」「そのまま」という状態は、
良しとされない。
立ち止まっているように見えたり、
何もしていないように見えたりするからだと思う。
私自身も「今の状態のまま」という選択は、
無意味だと思っていた。
必死に自分の欠点をなくそうとしていた。
無意識のうちに他人も変えようとしたりしていた。
本質を探っていく中で、
何かを足すことよりも
余計なものを引いていくことが大切なのではないかと感じるようになった。
その過程で「今のまま」「そのまま」という状態に
本質があり、価値があるのかもしれないと思うようになった。
そう感じるようになった過程を書いてみる。
今の状態を否定してしまう構造
完璧主義:終わりなき安心
以前の私は、完璧主義でした。
まだ足りない。
まだ不十分。
そう感じては、問題を見つけて解決することを繰り返していた。
問題を解決できた時だけ、
一時的な安心感が得られた。
でもそれは、
「今の状態」にOKを出さない、自己否定という前提の上に成り立っていた。
気づけば、
今の状態を否定し続けるスパイラルの中に抜け出せずにいました。
ないものねだり
ないものねだりという言葉がある。
今ここにないものに意識が向き、
すでにあるものが視界から消えていく状態。
不安や焦りが強くなると、よりはっきりと現れる。
SNSのキラキラしている人を見て、今の自分と比較をしてしまうと
今の現状がダメに見えてくる。
得ること、失うこと
得るものがある。
それと同時に、失うものもある。
何かを手に入れる代わりに、
いつの間にか手放していたものもある。
つまり、ただ入れ替わり、交換しているだけ。
人間は、いつまでたってもどれだけ努力してもどれだけ行動しても完璧にはなれない。
得ても失うことを知り、ないものねだりを満たそうとしても、他が気になってくる。
「完璧主義」「ないものねだり」は、 何かの方法論・アドバイスではなく、
なぜこのような事が起きているかを腑に落とし理解することでようやく抜け出せました。
何もかもやめた時
腑に落ちてからは、これまでの行動は一体何だったのだろうと思いました。
何でそんなに頑張っていたのだろうと思い、何もかもやめた時期があります。
目標も立てない、改善もしない。
誰かに見せるつもりもなく、
誰かから評価されたいとも思わない。
人との利害関係もない。
物事の善/悪を決めず、
〇か×かで区切らず、
教えようとも、
何かを正そうともしなかった。
変わろうとも、
変えようともせず、
比べることもなくなった。
振り返ると、
多くのことを「しなかった」時間だった。
ただ何もない、そのままの自分がいるだけでした。
今のままという状態
それからは、「今のまま」という状態を否定し続けなくてよくなった。
という感覚を初めて感じました。
今までやっていたことは、
「今のまま」「そのまま」を否定し、行動していました。
この経験から意識するようになったことは、
「今のまま」「そのまま」を大事にして、行動すること。
さいごに
私は、今のままを受け入れられるようになるまでに、
徹底的に「しない」を実行し、ちゃんと腑に落とす必要がありました。
一度でも「今のまま」でもいいと腑に落とせた時、
今までと同じ行動をしていても、充足感が違うようになりました。

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