最近の若者は、、、と言われて落ち込むあなたへ
「最近の若い者は…」
こんな言葉を聞いて、なんだか自分が責められているような気がして、心がズンと重くなってしまったことはありませんか?
「自分の努力が足りないのかな」「我慢ができないって思われてるのかな」そんなふうに思ってしまうのは、とても自然なことです。
でも、ひとつ知っておいてほしい大切な事実があります。
なぜ「最近の若い者は…」と言われるのか?
「最近の若者は…」という言葉は、実は紀元前から言われ続けてきたものです。
哲学者ソクラテスをはじめとする古代の偉人たちも「若者は甘えている」と嘆いていた記録があり、紀元前4世紀から現在まで、「若い世代への不満」は繰り返されてきた普遍的なテーマです(同志社大学学術リポジトリ、東京未来大学参照)。
つまり、「最近の若い者は…」という言葉は時代を超えて使われる“永遠のフレーズ”と言えるでしょう。
現代の若者が「我慢できない」と感じる背景
スマートフォンとSNSに触れすぎる環境
集中力の持続時間は、2004年には平均150秒だったものが、2020年には47秒にまで低下しているという研究もあります(東京未来大学ウォール・ストリート・ジャーナル)。
また、SNSでのライフスタイルの可視化や他人との比較、親の過保護などが原因で、自分に自信が持てず、試行錯誤に躊躇する傾向があります。
少子化と過度な期待のストレス
一人っ子や少子化の家庭では親の期待が集中し、「失敗できない」というプレッシャーが強まっています。
その結果、挫折やつまずきに過敏になりやすく、我慢が難しいと感じることも増えています。
我慢ができないって悪いこと?
「我慢が足りない」と言われることもあるかもしれません。確かに、社会で生きるにはある程度の我慢や配慮が求められる場面もあります。
けれど、それがすべて正しいとは限りません。
いい我慢:意味がある我慢
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自分で選んだ理由がある一時的な我慢(スキル習得や生活の安定のため)
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人間関係を円滑にするための最低限の配慮(礼儀や言い回しを控えるなど)
これらは成長につながります。
悪い我慢:害になる我慢
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自分を抑圧するだけの我慢(無理に環境に適応しなければならないと感じる耐え)
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理不尽な環境での黙り込み(パワハラ、無自覚な差別、感情を抑え込む日常)
これらは心身をすり減らします。
あなたの心が悲鳴をあげているのに、それを押し殺してまで耐える必要はありません。
メンタルの落ち込みと現代社会
スマートフォンやSNSの普及により、私たちは常に大量の情報にさらされています。
人と比較しやすく、孤独を感じやすく、些細なことでメンタルが落ち込むのも、決して珍しいことではありません。
実際の統計でも、厚生労働省や各種調査によると、若年層のメンタル不調やストレスによる体調不良の割合は年々増加しています。
テクノロジーが発達し便利になる一方で、「生きづらさ」や「息苦しさ」を感じる人が増えているのも現実です。
だから、あなたが少しのことで落ち込んだり、立ち止まったりするのは決して弱さではなく、ごく自然な心の反応なのです。
誰もが自分に合った「楽しい生活」を目指せる理由
メンタルの健康や生活満足には、心理的安全性(安心して過ごせる場)が不可欠です。
信頼できる人間関係、無理のない働き方、小さな成功体験を積むことこそ、長期的に自分を支える力になります。
「我慢」ではなく「選ぶ」という視点が、自分の生活や感情を肯定的に変えていく鍵です。
自分らしさについて
現代はスマホやSNSの影響で、比較や焦りが生まれやすい社会です。
「みんなできてるのに、自分だけ…」と感じやすくなっているのは、あなたが弱いからではありません。
時代が変われば、求められるスキルも心の疲れ方も変わります。
だからこそ、自分の心を守る方法を知って、
自分にとって「心が軽くなる選択」をしていいのです。
最後に:自分を責める前に思い出して
「最近の若者は…」という言葉は、何千年も前から繰り返されてきた、ある意味“伝統的なボヤき”のようなもの。
あなたが悪いのではありません。今の社会も、昔の人の目線も、すべては“移り変わるもの”。
どうか、必要以上に自分を責めずにいてください。
あなたのリズムで、一歩ずつで大丈夫。
誰かの言葉ではなく、あなた自身が心から納得できる生き方を、少しずつ見つけていきましょう。
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