視力と心はつながっている?
「視力が悪いのにメガネをかけたくない」と聞くと、ただの好みや見た目の問題に思われがちかもしれません。でも実は、視力の問題と心の状態はとても深くつながっていると、私は自分の体験から感じています。
この記事では、私が「現実を見たくない」と思っていた心の状態と視力低下との関係に気づいたストーリーを通して、心と体のつながりについて考えてみます。
私がメガネをかけたくなかった理由
視力0.2でもメガネをかけなかった
私は視力が0.2しかありません。でも、なぜかメガネをかけるのが嫌でした。
黒板の文字も見えにくいし、標識も読みにくい。なのに、裸眼で過ごすことを選んでいました。
周囲から「不便じゃないの?」「なんでかけないの?」と聞かれても、明確な理由は答えられませんでした。けれど今思えば、心のどこかで「現実をくっきり見ること」が怖かったのかもしれません。
「現実を見たくない」という感覚
思い返すと、私は子どもの頃から強いストレスやいじめを経験してきました。
嫌なことを言われたり、居場所がないと感じたり、そうした経験の中で私は「感情を切る」ことで自分を守っていたと思います。
そのときの私の特徴は:
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感情が湧かない
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ボーっとしている
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周りの音や空気をあまり感じない
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なぜか視界がぼやけている
この状態は、心理学的には「フリーズ反応」や「解離」と呼ばれるそうです。
そして、そのときの心の状態が視力にも影響していたのかもしれない、と気づきました。
感情と視界がリンクしている?
心が閉じていると、視界も閉じる?
心にとって強すぎる刺激やストレスがあると、身体はそれを遮断しようとします。
そのひとつの方法が「目を細める」「焦点を合わせない」「見ないようにする」という行動です。
それが長く続くと、視力の調整機能そのものが弱まってしまうこともあります。
「目を通して世界を見る」という行為は、それだけで多くの情報と感情を受け取ることになります。
それを「感じたくない」と無意識に思っていたのなら、視力が下がるのも自然な流れだったのかもしれません。
身体は心を守っていた
振り返ると、私は「現実を見ないことで、心を守っていた」ように思います。
ぼやけた視界は、ある意味で私にとって「安心できるフィルター」だったのかもしれません。
今だから言えること
今になってようやく、私は「現実を見る」ことを少しずつ受け入れられるようになってきました。
メガネをかけるのも、怖くなくなってきました。
もちろん、視力が急に戻るわけではありません。でも、「くっきり見る」ことを恐れなくなったことは、心の大きな変化です。
メンタルケアの必要性
視力が悪いからといって、ただ身体の問題として片付けるのではなく、
「心がなにかを守ろうとしているサインかもしれない」と優しく見てあげることが大切なんだと感じています。
「ぼやけた世界」は、自分がそのとき必要としていたものだったんだ、と今なら思えます。
さいごに
あなたは今、現実を見ることに疲れていませんか?
無理にがんばって、心を閉じていませんか?
視力の不調も、心からのSOSかもしれません。
見たくないものを「見ないでいよう」とする心は、決して悪いことではありません。むしろ、自分を守ろうとする優しい反応だったはずです。
少しずつ、「自分の心が軽くなる方向へ」進んでみましょう。
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