家庭環境が、今の生き方をつくる

家庭が複雑な環境で育つと、多くの人は「愛とは条件付きのもの」だと誤解してしまいます。
「良い子にしていれば認めてもらえる」「頑張らないと見放される」「怒らせたら嫌われる」
そんな空気の中で、いつしか“自分を守るための生き方”を覚えていきます。
私自身もそうでした。
小さな頃から常に「ちゃんとしなさい」と言われ、褒められるよりも叱られることが多かった。
だからいつしか、「完璧でいれば安心」「人の機嫌を常に伺っていれば愛される」と信じるようになっていました。
承認を求めるほど、心は不安定になる

大人になってからも、無意識にその延長で生きていました。
今思えば、どんなに疲れていても、しんどい時でも――
・人に役立つことをしなければならない
・仕事で成果を出さなければならない
・人に頼らず何でもできる人にならなければならない
無意識にそう思って行動していました。
人からは「よくそんなにストイックになれるね」と言われても、当時の私は必死でした。
どれだけ頑張っても心の奥には「まだ足りない」「もっと認められなければ」という焦りがあり、気づけば疲労困憊になっていました。
そして、ある程度結果が出ると今度は――
・頑張ることで認められたから、頑張り続けなければならない
・結果を出す自分であり続けなければならない
・人より常に優れていなければならない
このように、名誉・地位・他人からの評価といった“外側の安心”に執着していました。
一見すると前向きな努力のようですが、実は「人から愛されて、安心できる居場所をつくるための防衛反応」だったのです。
価値観は“愛の地図”からできている

幼少期の家庭は、私たちにとっての“世界のモデル”になります。
親の言葉・態度・反応が、「人とはこういうもの」「自分とはこういう存在」という前提をつくっていくのです。
愛されるとは、こういうこと。
怒られないとは、こういうこと。
役に立つとは、こういうこと。
――それらの積み重ねが、今の価値観や人間関係の“土台”になっています。
人を愛せないということは、自分を愛せていないということ

今までの私は、心の防衛本能の投影(自分を守るために、相手に自分の感情を重ねてしまう反応)により、
無意識に相手のことも「このままではダメ」「その考えではダメ」「なぜもっと成長しようとしないの?」と心の中で責めていました。
そんな中、私が変わり始めたのは、全てがうまくいかなくなった時でした。
明日が来ないでほしいと願って寝る毎日でした。その時、ふと「みんな、生きていてすごいな」とこれまでに湧いてこなかった人への敬意がでたのです。
そして気づいたのは、「自分を大切にしてこなかったから、自分に関わる人や仕事も本当の意味で大切にできていなかった」という事実でした。
謝罪と感謝の気持ちがあふれ出し、その瞬間、人生で初めて自己愛が芽生えました。
自分を徹底的に大事にする。
大切に扱う。
その感覚を知ったとき、ようやく「他人を本当に大切にできる」ようになったのです。
不思議なことに、何もかもうまくいかない状況の中で、心の奥に静かな安心が広がり、
気づけば仕事や人間関係も自然と安定していきました。
まるで、頭の中の重りが一気に外れたような感覚でした。
頑張りではなく、理解で満たす
愛されなかった経験は、どんなに頑張っても結果を出しても埋まりません。
けれど、「なぜ自分は頑張らなければならなかったのか」を理解するだけで、心はふっと力を抜くことができます。
「今の自分を認める」とは――
過去の自分を”否定しない”こと。
できなかった自分を罰しないこと。
“それでも生き抜いてきた自分”を、静かに受け入れることです。
自分を愛す
愛とは、条件ではなく「存在をそのまま受け入れる感覚」。
まずは”今の自分”が”今の自分”を愛せるようになることが最重要です。
そうすることで、名誉・評価・頑張りという“鎧”を少しずつ脱ぎ捨てられるようになります。
過去の痛みを癒すのは、努力ではなく理解。
理解の先に、“本当の自分”として生きる自由があります。


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